後儒下学上達を二つに分つ。上達は只だ下学の裡に在り。木の栽培灌溉は下学にて、条達暢茂は上達なり。
「上達は只だ下学の裡に在り。」
上達下学を問う。
先生曰く。「後儒人を教うるに、才かに精微に涉れば、便ち上達と謂い、未だ学ばざることにして、且つ下学を説く。是れ下学上達を二つに分つなり。夫れ目以て見る可く、耳以て聞く可く、口以て言可く、心思以て論ず可き者は、皆下学なり。目以て見る可からず、耳以て聞く可からず、口以て言可からず、心思以て論ず可からざる者は上達なり。木の栽培灌溉の如きは、是れ下学なり。日夜の息に至り、条達暢茂なるは、乃ち是れ上達なり。人安んぞ能く力を以て与さんや。凡そ聖人の説く所は、極精微と雖も、俱に是れ下学なり。学者只だ下学の裡に功夫を用いれば、自然に上達す。更に別に上達の功夫を尋ぬるを要せず。」
上達下学を問う。
先生曰く。「後儒人を教うるに、才かに精微に涉れば、便ち上達と謂い、未だ学ばざることにして、且つ下学を説く。是れ下学上達を二つに分つなり。夫れ目以て見る可く、耳以て聞く可く、口以て言可く、心思以て論ず可き者は、皆下学なり。目以て見る可からず、耳以て聞く可からず、口以て言可からず、心思以て論ず可からざる者は上達なり。木の栽培灌溉の如きは、是れ下学なり。日夜の息に至り、条達暢茂なるは、乃ち是れ上達なり。人安んぞ能く力を以て与さんや。凡そ聖人の説く所は、極精微と雖も、俱に是れ下学なり。学者只だ下学の裡に功夫を用いれば、自然に上達す。更に別に上達の功夫を尋ぬるを要せず。」
日常的実践と分離された「上級」知恵はない。現場を理解しないリーダーは「より高い」理解に達したのではなく、基盤を見落とした。陽明の注意:平凡を極めよ、超越が従う。
「上達は只だ下学の裡に在り。」
陽明は「実践的学び」と「より高き知恵」の人工的な区別を溶かす。後世の学者は日常的実践を単なる準備段階と見なし、より高き洞察で超越すべきとした。陽明は言う:到達すべき別個の「より高き」ものはない。最も高い知恵は日常的実践の中にある、その先にはない。木に水をやれ;茂り栄えることは自然に任せよ。