徐愛録 · 第11条

格は正なり

格とは正なり。不正を正して正に帰するの謂いなり。

「不正を正するとは悪を去るの謂いなり。正に帰するとは善を為すの謂いなり。」

格物=正心

原文(漢文)

先生曰:「格者,正也。正其不正以归于正之谓也。正其不正者,去恶之谓也。归于正者,为善之谓也。夫是之谓格。《大学》之『格物致知』者,致吾心之良知于事事物物也。致吾心之良知于事事物物,则事事物物皆得其理矣。事事物物皆得其理者,格物也。是合心与理而为一者也。」

日本語訳

先生曰く。「格とは正なり。不正を正して正に帰するの謂いなり。不正を正するとは悪を去るの謂いなり。正に帰するとは善を為すの謂いなり。夫れ是れを格と謂う。大学の格物致知とは、吾が心の良知を事事物物に致すなり。吾が心の良知を事事物物に致せば、則ち事事物物皆其の理を得。事事物物皆其の理を得る者は格物なり。是れ心と理とを合して一と為す者なり。」

解説

「格とは正なり。不正を正して正に帰するの謂いなり。」

これは陽明の「格物」に対する最終定義である。格は朱子の「至」(事物に到達する)ではなく、「正」——不正を正す。格物は外物の理を窮めることではなく、内面の心の不正を正して正に帰すること。この定義は格物と正心を統一する。

「不正を正するとは悪を去るの謂いなり。」

格物の二つの側面:悪を去る(不正を正す)と善を為す(正に帰する)。これは消極的な禁止ではなく、積極的な回帰——心体本来の善への回帰。悪を去るとは何かを消灭することではなく、遮蔽を除去すること;善を為すとは何かを添加することではなく、本然を恢复すること。

よくある誤解

✗ 格物とは外物を研究することだ
✓ 違う——陽明は格物を心を正すことと再定義する。

現代への応用

💡 日々の正心の功夫

陽明の格物は「悪を去り善を為す」日常の practice——遥か彼方の哲学概念ではなく、瞬間瞬間の practice。一つ一つの念头に対して、問う:これは良知の声か、それとも私欲の驱使か?不正な念头を正すことが格物である。