徐愛録 · 第9条

尽心知性:生知安行

心を尽くすは性を知るに由り、知を致すは物を格するに在り。

「心を尽くすは性を知るに由り、知を致すは物を格するに在り。」

尽心知性生知安行

原文(漢文)

爱问:「『尽心由于知性,致知在于格物』,何也?」

先生曰:「此须认得心体明白。心之本体即是性,性即是理。穷仁之理,真要仁极仁;穷义之理,真要义极义。仁义只是吾性,故穷理即是尽性。尽心由于知性者,以其理之凝聚而言则谓之性,以其凝聚之主宰而言则谓之心,以其主宰之发动而言则谓之意,以其发动之明觉而言则谓之知,以其明觉之感应而言则谓之物。故就物而言谓之格,就知而言谓之致,就意而言谓之诚,就心而言谓之正。正心者,正其心之不正以归于正也。诚意者,实其心之所发而毋自欺也。致知者,致其心之良知也。格物者,格其心之不正以归于正也。」

日本語訳

愛問う。「『心を尽くすは性を知るに由り、知を致すは物を格するに在り』とは何ぞや。」

先生曰く。「此れ須く心体を明白に認むべし。心の本体は即ち性なり。性は即ち理なり。仁の理を窮めんと欲せば、真に仁極仁たるべし。義の理を窮めんと欲せば、真に義極義たるべし。仁義は只是れ吾が性なるがゆえに、理を窮むるは即ち性を尽くすなり。心を尽くすは性を知るに由るとは、其の理の凝聚を以て言えば之を性と謂い、其の凝聚の主宰を以て言えば之を心と謂い、其の主宰の発動を以て言えば之を意と謂い、其の発動の明覚を以て言えば之を知と謂い、其の明覚の感応を以て言えば之を物と謂う。故に物に就いて言えば之を格と謂い、知に就いて言えば之を致と謂い、意に就いて言えば之を誠と謂い、心に就いて言えば之を正と謂う。心を正するとは、其の心の不正を正して正に帰するなり。意を誠にするとは、其の心の発する所を実にして自ら欺かざるなり。知を致すとは、其の心の良知を致すなり。物を格するとは、其の心の不正を格して正に帰するなり。」

解説

「心の本体は即ち性なり。性は即ち理なり。」

陽明は心・性・理の三つの概念を打通する:心の本体は性であり、性は即ち理である。この三者は同一の実在の異なる側面である——水・氷・蒸気が同一物質の異なる形態であるのと同様である。

「物に就いて言えば之を格と謂い、知に就いて言えば之を致と謂う。」

この段落は完全な概念体系を構築している:理→性→心→意→知→物。これらは異なるものではなく、異なる角度から見た同一の実在の名称である。これを理解すれば、「正心・誠意・致知・格物」が実は同じことの異なる言い方であることが理解できる。

よくある誤解

✗ 「心を尽くす」とは心を空にすることだ
✓ 違う——心の先天的な道的能力を fully realize すること。

現代への応用

💡 統一された自己認識

陽明の概念体系が教えてくれる:あなたの心・性・理・知・意・物は統一されている。外に答えを求める必要はない——すべての答えはあなたの心中にある。複雑な問題に直面した時、心に戻り、良知に導かせなさい。