君臣易位谓之逆,贤不肖并立谓之乱,动静不时谓之逆,生杀不当谓之暴。逆则失本,乱则失职,逆则失天,暴则失人。失本则损,失职则侵,失天则饥,失人则疾。此谓四度。
大义陈于外,则君臣正。明分定于内,则父子亲。贤不肖各得其处,则天下和。刑德各当其位,则国家治。
君臣の位置が転倒することを逆と申し、賢能と不肖の人が並び立つことを乱と申し、行動と静止が時宜に適わないことを逆と申し、生殺の賞罰が適当でないことを暴と申します。逆であれば根本を失い、乱であれば職守を失い、逆であれば天時を失い、暴であれば人心を失います。根本を失えば損をし、職守を失えば侵犯され、天時を失えば飢餓となり、人心を失えば災禍に遭います。これを四度と申します。
大きな道義が外に示されれば、君臣は端正いたします。名分が内部で確定されれば、父子は親密になります。賢能と不肖の人がそれぞれその居場所を得れば、天下は調和いたします。刑罰と徳化がそれぞれその位に適えば、国家は安定いたします。
四種の衡量基準でございます。君臣の位・賢不肖の分・動静の時・生殺の当。度は客観的な尺度であり、主観的な好悪ではございません。国家を治めるには定量化可能な基準が必要であり、感覚に頼って行動すべきではないのでございます。
「君臣易位謂之逆」——君臣関係は国家治理の第一の次元でございます。位置の転倒はすべての混乱の出発点でございます。黄老学派は名分秩序を強調しており、これは「正名」思想の政治領域における応用でございます。
「刑徳各当其位、則国家治」——刑罰と徳化を並用することは、陰陽の偏廢できないのと同じでございます。刑徳は黄老治術の核心的工具であり、「四度」における「生殺の当」の具体的な展開でございます。
「明分定于内、則父子親」——名分は社会秩序の基盤でございます。それぞれの人に名分(役割と位置)があり、名分を明確にし、それぞれその位に安んじて初めて、社会は調和的に運転できるのでございます。