忠と孝の理、吾が心に在りや、父と君に在りや。
「忠と孝の理、吾が心に在りや、父と君に在りや。」
爱问:「至善只求诸心,恐于天下事理有不能尽。」
先生曰:「心即理也。天下又有心外之事、心外之理乎?且如事父,非于父而求孝之理矣;事君,非于君而求忠之理矣。以此心之条理而言,谓之理。忠与孝之理,在吾心邪?在父与君邪?使在父与君,父没君薨之后,吾心遂无忠孝之理邪?」
愛問う。「至善只だ諸を心に求めば、恐くは天下の事理に尽く能わざらん。」
先生曰く。「心即理なり。天下にまた心の外の事、心の外の理あらんや。且つ父に事えるを以て言わば、父に於いて孝の理を求むるにあらず。君に事えるを以て言わば、君に於いて忠の理を求むるにあらず。此の心の条理を以て之を言えば、之を理と謂う。忠と孝の理、吾が心に在りや、父と君に在りや。父と君に在りと使わば、父没し君薨じたる後、吾が心に遂に忠孝の理無きか。」
あなたの道的判断は外的権威に依存しない。法律や社会規範がなくても、あなたは深く何が正しいかを知っている。陽明の 思考 実験 は reminders:道的の根源は内にあり、外にはない。
「心即理なり。天下にまた心の外の事、心の外の理あらんや。」
陽明は根本命題をより具体的な 思考 実験 で再述する:もし忠の理が君(外物)にあれば、君が死んだ後、心に忠の理がなくなるのか?明らかにそうではない——忠の理は心にあり、外物にはない。
「此の心の条理を以て之を言えば、之を理と謂う。」
「理」は外在の law ではなく、心の条理——心が異なる状況で自然に呈する秩序と規範。父に対しては孝、君に対しては忠、友に対しては信——これらはすべて同一の心の異なる関係における自然な条理である。