心と理とを析ちて二つとなすは、告子の義外の説にて、孟子の深く辟くる所なり。
「外に務めて内を遺すは、博くして寡く要なく、労して功なし。」
爱曰:「如事父之孝、事君之忠、交友之信、治民之仁,其间有许多理在,恐亦不可不察。」
先生叹曰:「此说之蔽久矣,岂一语所能悟!今姑就所问者言之:且如事父,不成去父上求个孝的理;事君,不成去君上求个忠的理;交友治民,不成去友与民上求个信与仁的理。都只在此心。心即理也。此心无私欲之蔽,即是天理,不须外面添一分。以此纯乎天理之心,发之事父便是孝,发之事君便是忠,发之交友治民便是信与仁。只在此心去人欲、存天理上用功便是。」
愛曰く。「父に事えるの孝、君に事えるの忠、友に交わるの信、民を治むるの仁の如き、其の間に許多の理在り。恐らくは亦察せざるべからず。」
先生嘆じて曰く。「此の説の蔽うこと久し。豈一語の能く悟る所ならんや。今姑く問う所に就いて之を言わば、且つ父に事えるを以て言えば、父に就いて孝の理を求むるにあらず。君に事えるを以て言えば、君に就いて忠の理を求むるにあらず。友に交わり民を治むるに、友と民とに就いて信と仁との理を求むるにあらず。都て只だ此の心に在り。心即理なり。此の心私欲の蔽い無きは、即ち天理なり。外面より一分を添えるを須いず。此の純乎天理の心を以て、父に事えるに発すれば便是ち孝、君に事えるに発すれば便是ち忠、友に交わり民を治むるに発すれば便是ち信と仁となり。只だ此の心にて人欲を去り天理を存する上に功夫する便是なり。」
チーム management では、システムや KPI(外的ルール)に頼るは最低 standard を維持するのみ。真の excellence はメンバーの内発的動機(天理の心)から来る。更多 rules を作る代わりに、人々の心が自然に認同する environment を作れ。
「此の説の蔽うこと久し。豈一語の能く悟る所ならんや。」
陽明は「心と理を二つに分つ」思想の浸透の深さを嘆く。当時の学界は普遍的に理は事物にあり、格物によって知ると信じていた——この 心構え は非常に根強く、一言では正せなかった。
「此の心私欲の蔽い無きは、即ち天理なり。」
これは陽明心学の最も簡潔で力強い表現である。天理は外から得るものではなく、心の本然の状態である。私欲の遮蔽を除去すれば、天理は自然に現れる。功夫はすべて「人欲を去り天理を存する」にある。