品目概述
「行由」とは行跡、由来の意である。本品は『六祖壇経』の開篇であり、一字も知らない樵夫から『金剛経』を聞いて発心し、五祖弘忍のもとで法を得て宗を伝えるまでの全経緯を記述している。其中有名な二つの偈頌——神秀の「時時勤払拭」と慧能の「菩提本無樹」、そして「風動幡動、仁者心動」の千古の公案が含まれている。
本品は壇経全体を理解する鍵である。慧能の身の上、悟道の因縁、得法の経緯、南帰隠遁は、禅宗伝法史上最も劇的な篇章を構成している。
一、慧能の身の上と経を聞いて発心
経文
大師の名は慧能、父は盧氏、諱は行瑫、母は李氏。師は唐の貞観十二年戊戌歳二月八日子時に誕生された。その時、毫光が空に騰り、異香が室に満ちた。明け方に二人の異僧が訪れ、師の父に言った。「昨夜生まれた子に名を付けましょう。『惠』を上に、『能』を下につけるのがよろしい。」父が「なぜ惠能というのか」と問うと、僧は言った。「惠とは、法をもって衆生を惠済すること。能とは、能く仏事を作す。」言い終わると出て行き、行方が分からなかった。
慧能は俗姓が盧、祖籍は范陽(現在の河北涿州)。父の盧行瑫は事により嶺南新州(現在の広東新興)に貶された。慧能は三歳で父を失い、家は貧しく、薪を売って生計を立て、文字を知らなかった。
経を聞いて発心
一人の客が薪を買い、宿屋まで届けるよう命じた。客が受け取り、慧能は代金を得て門の外に出ると、一人の客が経を誦しているのを見た。慧能が経の言葉を一たび聞くと、心は即ち開悟した。そこで客に何の経を誦しているのか問うと、客は「『金剛経』です」と答えた。さらにどこから来てこの経典を持っているのか問うと、客は「私は蘄州黄梅県の東禅寺から参りました。その寺は五祖弘忍大師がおられ、門人は千余人おります」と言った。
慧能が市で薪を売っている時、偶然人が『金剛『金剛経』を誦するのを聞いた。「応無所住而生其心」の一句を聞いた瞬間、豁然として開悟した。これは慧能と仏法の最初の出会いであり、求法の旅の出発点である。ある客が黄梅東禅寺に五祖弘忍を訪ねるよう教えた。
二、五祖の試験と碓房の労作
経文
祖が問うた。「汝はどこから来たか、何事に来たか。」慧能が「弟子は嶺南の者で、遠く参りまして、ただ仏になることを求め、それ以外のものは求めません」と答えると、祖は言った。「汝は嶺南の者であり、また獦獠である。どうして仏になれるというのか。」慧能が「人には南北がありますが、仏性には本来南北はありません。獦獠の身と和尚の身は違いますが、仏性に何の違いがありましょうか」と答えた。
慧能が五祖と初対面したこの問答は、彼の非凡な根器を示している。五祖は故意に「獦獠」(当時南方少数民族への蔑称)で試みたが、慧能の答えは仏性平等を直指した——「人には南北がありますが、仏性には本来南北はありません」。この答えは後の「一切衆生本来是仏」の核心思想と一脈相通じている。
碓房八ヶ月
祖はさらに話そうとしたが、徒衆が皆周りにいるのを見て、衆に随って作務するよう命じた。慧能が「慧能が和尚に申し上げます。弟子の自心は常に智慧を生じ、自性を離れません。これが福田です。和尚が何の務めを教えてくださるか存じ上げません」と言うと、祖は「この獦獠、根性が大いに利いおる!もう言うな、槽場(そうば)へ行け」と言った。
五祖は慧能の根器が非凡であると見抜いたが、他の弟子の嫉妬や害を恐れ、碓房で舂米や薪割りをさせた。八ヶ月間これを続けた。この「労作即修行」の経験は、まさに後の「仏法は世間にあり、世間を離れて覚ることなし」の生き生生とした注釈である。
三、偈を呈す之争い:神秀と慧能
神秀の偈
身は是れ菩提樹、心は明鏡台の如し。
時時に勤めて払拭し、塵埃を惹かしむる勿れ。
五祖が門人に各々一偈を作らせて見解を呈させた。上座弟子の神秀が深夜廊壁にこの偈を書いた。神秀の偈は「漸修」の法門を代表している——絶え間ない修行によって心性を浄化する。鏡面の塵を拭い続けるように。この法門は継続的な努力と精進を強調する。
慧能の偈
菩提は本より樹にあらず、明鏡も亦台にあらず。
本来無一物、何れの処にか塵埃を惹けん。
慧能は文字を知らず、人に代筆してこの偈を横に書かせた。神秀の偈と比べ、慧能は直接本体から立論している。菩提樹も明鏡台も仮名であり、心性は本来清浄無染である。塵埃を払うものなどどこにあろうか。これは修行を否定しているのではなく、修行の正しい方向を指し示している——「煩悩を取り除く」のではなく、「本来煩悩がないと認識する」のである。
この二つの偈の対比は、禅宗の「頓悟」と「漸修」の二大法門の古典的表現であり、壇経全体の思想的骨格でもある。
四、三更に法を受けて衣鉢を相伝す
経文
五祖が忽然と夜半に慧能を堂に呼び、『金剛経』を説いた。「応無所住而生其心」に至り、慧能は言下に大悟した。一切の万法は自性を離れないと。そこで祖に申し上げた。「何ぞ図らん、自性は本より清浄なることを。何ぞ図らん、自性は本より生滅なきことを。何ぞ図らん、自性は本より具足せるを。何ぞ図らん、自性は本より動揺なきことを。何ぞ図らん、自性は能く万法を生ずることを。」
五祖が深夜密かに慧能を召し、袈裟で囲んで『金剛経』を講じた。「応無所住而生其心」の一句に至った時、慧能は豁然と大悟し、続けて五句の「何ぞ図らん」の嘆きを発した。この五句は禅宗心性論の綱領である:
- 本自清浄 — 自性は本来煩悩の汚染がない
- 本不生滅 — 自性は生滅変化を超越している
- 本自具足 — 自性は一切の智慧功徳を具えている
- 本無動揺 — 自性は外境に動かされない
- 能生万法 — 自性は一切の現象の根源である
五祖は慧能が悟ったと知り、衣鉢を伝え、第六代祖とするよう嘱し、速やかに南帰し、しばらく法を弘めず、禍を避けるよう命じた。
五、南帰隠遁と風幡の弁
恵明の追奪
五祖が見送り、九江駅まで至り、慧能に船に乗るよう命じた。五祖が櫓を取って自ら漕ぐと、慧能が「和尚にお座りください。弟子が漕ぐのが当然です」と言うと、祖は「私が汝を渡すのが当然だ」と言った。慧能が「迷っている時は師が渡し、悟った後は自ら渡す。渡の名は一つでも、使い処は異なる」と言った。
慧能が南帰の途中、数百人に追われた。恵明が先に追いつくと、慧能は衣鉢を石の上に置いて「この衣は信を表すもの。力争で得られようか」と言った。恵明が持ち上げようとすると動かず、「私は法のために来た。衣のために来たのではない」と言った。慧能が法を説くと、恵明は言下に大悟した。「迷っている時は師が渡し、悟った後は自ら渡す」この問答は、禅宗の「自力」精神の古典的表現である。
風動幡動
慧能は後に曹溪に至ったが、また悪人に追いかけられ、四会で猟師の群れの中に難を避け、合わせて十五年を過ごした。後に広州法性寺に至り、印宗法師が『涅槃経』を講じるのに値した。その時、風が幡を吹かせ、一人の僧が「風が動く」と言い、もう一人の僧が「幡が動く」と言い、議論が止まなかった。慧能が進み出て言った。「風が動くのでもなく、幡が動くのでもない。仁者の心が動いているのである。」一同は愕然とした。
慧能が猟師の群れに隠れて十五年後、広州法性寺に来た。二人の僧が「風が動くか幡が動くか」で争论していた。慧能の「仁者の心が動いている」の一言が四座を震惊させた。これは単純な唯心論ではなく、万法唯心を直指している——一切の外境は心の顕現であり、「風が動く」とか「幡が動く」と執着するのは外に向かって求めることで、能知能覚の心を忽略了いるのである。
六、本品の要義
行由品は壇経の開篇として、いくつかの核心テーマを確立した:
- 仏性平等 — 南北、貴賤、学問に関係なく、一切衆生皆仏性を持つ
- 頓悟法門 — 覚悟は漸次的な積み重ねではなく、当下一念の徹底的な転変である
- 自性清浄 — 心性は本来無染であり、「取り除く」ものはない
- 以心伝心 — 禅宗の伝法は文字に依らず、心と心が相通じる
- 世間即道場 — 仏法は日常生活を離れない
これらのテーマは後の各品において、より十分に展開し発揮されるであろう。